親の認知症予防

独居の親が自動車事故を起こしたら①

昨年師走のある日、独居の親が自動車事故を起こしてしまいました。

高齢者による自動車事故は、若年層の自動車事故に比べてメディアに取り上げられることが多く他人事ではありませんでしたが、我が家事に。

若年層の自動車事故の方が実は高齢者より多いという事実があるにもかかわらず、高齢者が注目されるのは高齢者の方が重篤な結果を招きやすいということと、それに伴って自主返納を促すためであるのでしょう。

今回は、自主返納を渋る親が、事故によって、ようやく自主返納に至った話を2回に渡ってお話しします。

今年に入り2回も独居の親が車で事故りました。あろうことか、いずれも加害者。
運転技術の衰えは、徐々に来るものだと思っていましたが、実感としては一気に来た感覚です。

事故1回目

自宅前が工事をしばらくしていたため、自分の家の駐車場に入れにくい状況が発生しました。長期工事のため、若干嫌な予感はしていたのですが、どうしようもありません。

高齢者にとっては「いつも同じ」が大事であることは多いです。脳にとっては「変化」も必要ですが、駐車場へ車を入れる時には、慣れた方向、慣れた角度で入れることできちんと収めることができます。

いつもの慣れた動線で入れられないどころか、工事関係者の人が見ている中で焦る状況が毎日。そんな中、なかなか入れられず、斜め前のご近所さんの一見入れやすそうな駐車場にちょっと入れさせてもらおうとした時に1回目をやってしまいました。

慣れない向きで慌てて入れて、ブロック塀をこすってしまいました。

そのご近所さんは、ブロック塀にこすった跡が付いただけとのことで、おとがめ無しで許してもらえたのですが、車の方はバンパー修理で8万超え。

はじめに、その連絡をもらった時には、人身事故で無くて良かったということと、自主返納だ!!!という強い思いがありました。

どうする?!自主返納

もともと普段から親が高齢になるにあたり、色々なことを本人とともに話し合っていて、免許の自主返納時期も決めていて、それは1年くらい先の車検が来たらということになっていました。

生活の足が無くなるのは不便なので、予定していた返納までの期間で少しずつ車の無い生活に移行できるようにと思っていた矢先の事故。

予定より早いけれど、返納した方がいいのではないか?!と、更なる家族会議。

返納後は、車で通っていた所が全て行けなくなるということを想定していたにも関わらず、急な展開に何かと渋る親。

何のリスクをとるか

事故をした直後は家族は皆動揺していたこともあり、即返納の流れでしたが、数日経つと冷静さも出て来て、事故の背景と本人の運転能力を改めて考え、結局、急な展開を避け、猶予を残して継続することになりました。

①今回の事故は、走行中とかでは無く、慣れない駐車場に焦って入れようとして起こったもので、普段は慣れた所のみの移動で特に危険な行為や問題は起きていなかった

②本人の反射神経、運動神経は年齢にしては良い方である

③毎日運転をして、腕を鈍らせないように努めていた

④免許返納をすると生活が一変して、日課となっている所に行けず、認知症を発症するおそれがある

私が一番懸念したのが、職業柄ですが、④の認知症を発症、進行させるのではないかという点でした。

高齢者は環境を変えると良くないというとおり、車で通っていた運動と社交の場に行けなくなることがもたらす弊害が大きいことは安易に予想できるものでした。

慣れ親しんだ社交の場は、本人の一番の楽しみで、そこを変えてイチから人間関係を構築するのはリスクが高く、自主返納の準備にもう少し時間をかけたいところでした。

人身事故だと有無を言わせずでしたが、とりあえず即自主返納はしないことに決定。

自主返納の予定は繰り上げ

即返納はしないにしても、本人が納得できる形で少しでも早く自主返納に持っていくために、事故により自動車保険料がアップするという事実が効力を発揮しました。

今回はイレギュラーな条件が重なったこと、安全運転で順調に運転していたことで、免許継続にしたけれど、現実的には、事故したことで保険料が倍ほど上がるため、これは本人にとっては厳しいところ。車検よりも早く自主返納の時期を繰り上げることに成功しました。

修理の間の車の無い生活

車を修理に出している間は、本人が慣れて無い代車を拒否したため、車の無い生活が始まりました。

1ヶ月以上はかかるみたいで、毎日運転することで安全運転できていたことを思うと、運転しない期間が長すぎて不安がよぎります。

毎日通っていたところへは、公共交通機関を乗り継いで行くことになりました。

もともと不便な所に住んでいるため、交通機関のある所までも距離を歩きます。股関節が悪いため、杖こそ使っていませんが、歩き方はバランスが悪く、すぐ足が痛くなるようです。

車なら30分もあれば着きますが、バスを乗り継ぐため、待ち時間を含めると結構時間もかかります。

車の便利さにすがりたくなるのはわかります。

挫折しないための伏線

車の無い生活は予想以上に疲れ、不便です。そのため、前もっていろいろな伏線を張りました。

① 日課で通っている所までの交通機関を調べ、乗り継ぎなども自力で行けるように動線を充分に確認

②手荷物を最小限、軽量化、リュックを買い、できる限り身軽に動けるようにする

③真夏だったので、シャツミストなどクールアイテムを駆使

④交通機関を使うことのメリットを最大限に伝えていく
・単に目的地までを往復するのでは無く、道中を楽しむ。普段通らない道、道中の花、風にのってくる草花やお家から漂う料理のニオイ、自然に聞こえてくる音、五感を意識する

⑤バスの待ち時間も楽しむ。音楽を聴く、脳トレをする、その場でできるカカト上げ下げなどストレッチをする

⑥道がわからなくなったらそのお喋りな口をちゃんと活用する

⑦寄り道歓迎!車だと同じ道の往復だけだが、交通機関で行くと、いくらでも寄り道できる

こうして、想定できる心配や不安を取り除いていきました。

車が無くても意外にイケる

様々な伏線を張ったこともあり、本人は行く前からワクワクになり、交通機関で出かけるようになってからも、新しい出会いを楽しみ、自力で目的地まで行ける自信がついていきました。

「すごく歩いて疲れるけれど楽しい!」と、道中に親切にしてくれた人たちや、偶然会った知り合いや、車では体験できなかったことの話をよくするようになりました。

車では同じ道、同じところの往復しかしなかったので、今までよりも脳に新鮮な刺激があったようです。

やっぱり車が便利

車が無かった期間が真夏だったこともあり、いくら新鮮な気持ちで楽しめたとしても、夏の暑さはこたえたようで、車が修理から戻って来ると、車のある有り難さをしみじみ感じていました。

それから夏の暑さが過ぎても、いっこうに交通機関を使って行く気無しでした。車で行く日、バスで行く日など、いずれまた車の無い生活になるのだから、徐々に慣らしていった方がと提案したものの実行はされず。

人間ラクな方に行きたがるのは仕方ないのかもしれません。車が乗れなくなるそのギリギリまで車に乗っていたいという気持ちなような気がしていました。

それから季節は冬になり、最悪なことに事故2回目が発生しました。次回へ。